たいようとあめのしるし

おそらく10年ぶりくらいに再開します。

同調圧力と交差性など

梅屋敷のブックフェスタに行ったあと、横浜で栗田隆子さんが集会でお話されるということで行ってきました。

天皇制に反対する主旨の集会で、集まりのあとにはデモも予定されているということもあったけど、会場に近づいてみてびっくりしたのは、本当に、ビビるほどに、威圧的としか言いようのない数の警察、パトカーの配備がされていたことでした。

どれくらい威圧的でビビったかというと、一緒に集会に行ったトシぴょんが翌朝に、「ぼくが算数が苦手なことを知っている奴らに尾行されて付け狙われている」という夢を見たほどです。やになっちゃうね。

実際の集会に参加されていた方たちは優しそうで知的そうな方たちばかりでした。和やかで笑いもたくさんありました。
それぞれの活動についてのキャッチアップもできて有意義な集会でしたyo.

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さて、栗田さんのお話は、ご自身が人生で一番初めに天皇制に内包される同調圧力に疑問を持った日の出来事についてでした。

昭和天皇崩御される頃、1989年1月辺りの過剰なテレビ報道について、当時中学生だった隆子氏がもやもやと疑問を持って放ったひと言に、父親が返したノンポリな一言「日本人だから」と、その返答にリベラルな立ち位置の母親が独特なイヤミ「あなたって古典的なひとなんですね」と返したことで始まってしまった夫婦喧嘩、栗田家のその日の混乱の光景を目の当たりにしてしまった子供時代の隆子氏のお話がとても面白かったです。

この頃のテレビ報道は、探せばネットでもアーカイブされているんですね。

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栗田さんのお話を聞いて思い出したのは、確かに栗田さんが言うように、当時の公立学校では君が代などを強制されるような空気がなかったなということです。

私は栗田さんと同い年の1973年生まれで、栗田さんは神奈川県、私は青森県で育ったけど、私も公立学校で君が代などを強要された記憶はなかったなと。

私たちの世代は大人になり社会に出たと同時にバブル崩壊就職氷河期を経験しているものの、子供の頃はまだ景気もよく、一億総中流的な、民主主義を理想としようとしていた空気感が、今日のこの差し迫った日本社会よりは明らかにあった時代だった気がします。
それがバックラッシュ前ということなのかもしれません。

お話にあった保守的な父親とリベラル寄りな母親が家族となり対等に意見し喧嘩をするという栗田家の光景も、当時の民主主義的な空気感だったようにも感じられしみじみと懐かしく。子供にとってはそれなりにインパクトがあった出来事だったにしろ。

私も社会科がそんなに得意ではなかった子供だったものの、授業では当たり前に天皇は"象徴"であると習ったので、その"象徴"という言葉から、当時のテレビ報道の過剰さについて、素朴な疑問、もやもやした気持ちを持つ子供がいることは至って当然なことだっただろうなと思いました。

栗田さんと同い年の私が当時の過剰なテレビ報道を知らなかったのは、私が青森にいて神奈川よりテレビチャンネル数が少ない環境で育ったからか、当時は中学3年で一応高校受験を控えていた時期だったので、あまりテレビを見ていなかったからかな、と思いました。

お話を聞いて思い出したけど、昭和天皇崩御された日、(当時はまだネットがない時代だったけど)、世の中全体が暗く静かな空気に包まれたことは私も覚えています。

私の場合は、何故かそんな日に人生で初めて同級生に呼び出されて告白されるという(私にとってのプチ)事件が起きました。その告白の理由が最悪で、私がその頃デビューした同世代の某タレントさんに似ているからというトンチンカンな理由で、へ??それってつまりは私のことが好きってことじゃないですよね??みたいなガッカリガックシした体験でした。

当時の私は天皇制についてさほど深くも考えてはいなかったので、年号が変わるこんな日に、こんなにダサい経験をしちゃった!くらいな黒歴史だったけど、それでもあの日にトンチンカンに告白をしたあの同級生の、そのトンチンカンさを含め改めて懐かしみました。これはお話を聞きに行った効能かもしれません。

お話はその後の栗田さんの人生の右寄りのひとびととの出会いと別れの面白エピソードが続き、その交差性の中での気づきなど。
特に職場合コン時のさくら水産のお話は、私も地方出身者でランチといえばさくら水産は安くて労働者たちの味方!(サラメシばりに)愛されてやまないところだと思っていたので、へぇ!そうなんだーの発見もあり、。

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社会の歪みに目を向け、困っているひとたちに寄り添い、精力的に運動されているひとたちは、いつも目の前の問題に忙しく少し前のことを忘れる、という栗田さんのコトバに、なるほどなと思い、私の末端ながら拙いその頃の記憶を書いて時代空気を残しておこうと思いました。

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栗田さんの講演は、去年の神奈川県立図書館で行われた関東大震災山川菊栄のお話も面白かったです。

地震は天災であるに相違なく、人為を以てその厳しさを緩和することは出来まいがその被害の程度を最小限度に留めることは、平素に於ける災害防止方法の発達如何によっては不可能とはいへないのである」

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去年から栗田隆子さんの講演にいくつか行っているのですが、それにはいくつかの理由があって、その理由のひとつに栗田さんと上野千鶴子さんのガチバトルした対談の内容を理解したいということがあります。
内容というか、どこが何が噛み合っていないのかな、ということを見ていきたい、という感じかな。

これは私が上野千鶴子さんの本を読んだときに感じたモヤモヤにも通じるような気もしています。

フリーターズフリーの対談集「フェミニズムはだれのもの?」にはその時の対談の内容がまとめられていて、その本をちょびちょび読んでいるのですが、なかなか理解が進まず、世代的に自分自身にも充分当事者性がある内容なものの、今までの自分の人生にないアプローチの方法で、自分に落とし込む作業の段階で、自分の中でうにゃうにゃしていて、その周りから理解を深めているという段階です。

このうにゃうにゃについては、うにゃうにゃをもう少し言語化できそうなときにまた書いてみようかな、と思います。


栗田隆子さんとトシぴょん(空閑俊憲)

〇〇
交差性について体感で身につけていきたいと思う今日この頃、コトバに巻き込まれすぎないように。
〇〇

ラシャムジャさんと動物のこと

昨日は、京急梅屋敷駅のすぐそばにある仙六屋カフェというところで行われていた『梅屋敷ブックフェスタ』に行きました。
『雪を待つ』『路上の陽光』『穴の中には雪蓮花が咲いている (✳︎アンソロジー"絶縁"収録)』などの著者であるチベット人作家のラシャムジャさんが来られるということで本にサインしてもらいました。

ラシャムジャさんの邦訳された作品は、タイミングで書籍化されたものはたぶん全部読んでいるけど、その中で私がいちばん好きなのは、、んー、『穴の中には雪蓮花が咲いている』ですかね。

『雪を待つ』を結構前に読んで、読んだときは同世代のチベット人作家にとっての文明が変わっていくスピードが、日本だと3世代くらいで緩やかに変わってきたことを1世代で体験してしまう、その時間感覚のズレのようなものを体験したことに感銘を受けたんだけど、それからまた何年か経って、このコロナ渦に『穴の中には雪蓮花が咲いている』で気持ちが回帰されていくような、そんな時間軸をリアルタイムに経験出来たことをとても幸せに思っています。

梅屋敷ブックフェスタはブックフェスタなので、他にもたくさん魅力的なお店が出ていて、"韓国""ヴィーガン"というキーワードにピピピっとなり、本と喫茶サッフォーさんの発売ホヤホヤのzine 『韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って』もゲットしました😌

去年から、深沢レナさんが代表を務める「大学のハラスメントを看過しない会」が行っている動物問題の連続座談会が面白くてずっとみていて、最近の私は、広域に動物の問題を考え続けることにハマっています。

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ところで、なんでいまラシャムジャさんが日本に来日してるのか、考えてみたらよくわかっていません。

よくわからないけど、まあいっかって気もしています。
(情報の分断化)

斎藤真理子の夢をみた

私は日常のちょっとした出来事でも割と夢に出やすいので、仕事で一緒になったひととか、その時期ちょっとたくさん関わったひととかが夢に出てくることは割と頻繁にあるんだけど、たまに「こないだ〇〇さんの夢をみたぁ」って本人に伝えると、「出演料払って!」って言ってくるひとがいますよね、あれなんなんだろ。

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そういえば、この年末年始の辺りに斎藤真理子さん(以下、まりたんと略す)の夢をみました。
その辺りにちょっとだけ言葉を交わしたあとだったから、その影響だと思うんだけど、その夢のことを書いておく。

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まりたんのうちに遊びに行きました。
まりたんはどこかの商店街の2階に住んでいて、暇なときは1階のお店番をしているそうです。
まりたんのうちは、玄関のガラスとか、柱とか、壁とか、至るところに何気に古い、貴重な細工で出来ている素材を使っていて、DIY大好きなわたしとしては、「へぇぇ、珍しいね、すごいね」って感心してました。
それに呼応するかのように、まりたんはいろいろその素材について説明してくれてるんだけど、よくみると、説明しているまりたんの頭上の天井が、ウゴウゴ蠢いていました。
うぎゃ、なんだろう?とよく目を凝らすと、まりたんのうちの天井はお蚕たちでできていて、ウゴウゴ蠢いています。虫が微妙に苦手なんでうぎゃ!っとなって、まりたんもなかなかどうして有機的なひとなんだなあと思ったものでした。
おわり
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そういえば、去年はあまり本を読めなかったんだけど、去年読んで面白かった本の中に、栗田隆子さんの「夢夜」があります。
夢が大好きを自負しているトシぴょん(空閑俊憲)もびっくり慄いていたんで、割とレアに面白い本だと思います。
自費出版で出している本のようだから、なかなか手にとる機会も少ないかもだけど、機会があったらぜひに。

夢をみた

よくよく調べたら、そこを開けるには、かなり強い権限ユーザーのパスワードが必要だと知る。

そのことをスレッズっぽいところでうっかり書いたら、誰か知らないアドミニストレーターみたいなひとが、なんでそんな手間をかけることすんだよとすごく怒って、すごく騒いで吐いたコトバの中にロックされるキーワードがあったので、そのひとはロックされてしまう。

でも、そのことにいち早く気づいたひかりんが、そのひとのロックを解除してくれた。

展開のスピードがあまりにも早くて、私はその知らないアドミニストレーターのロックのことも、解除のことも少し後で知る。

よくよく考えてみたら、私は過去にそのパスワードを知っていたので、知らないアドミニストレーターのひとの手を煩わせなくても、冷静にうちの中を探せばみつかるはずだなと気づいたところで目が覚めた。

⭐︎ひかりんとは、先日bug展で、『対岸は見えない』という作品を発表した向井ひかりさんのことです。


葉っぱさん

snsについて、2016年にこんなこと考えてたんだなと改めて見返していました。

 

ストレスに満ち満ちたコロナ禍以降、snsとかネットの関わり方について色々ぐるぐる変化もあったけど、私がネット当初の頃に漠然と思っていた"ネットもそのうち街みたいになる"っていう感覚には、まだもうちょっとだけ時間がかかるのかなって最近ぼんやり考えています。

 

ネットがない時代も、ネットがなくてもみんなそれなりにアンテナがあったのに、

今のネットでみるアンテナは、なんだか簡単で必死すぎるところがあるような感じがしています。

簡単すぎることになんだかとても必死になっている、ような。

 

そのうち、きっとネットは街みたいになるし、出会う必要があるひとには出会えるような気がします。

 

そんなこんなもあり、斎藤真理子さんたちがやってる、沈思黙なんちゃらはなんだか意味があることなんだろうなって思いました。

 

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今年は辰年だけど、今年になる少し前、ちょうど12年前の辰年に、マイミクではてなダイアリー仲間だった葉っぱさんから頂いた年賀状を見返してました。

 

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あの頃の私は随分とテンションが高かったんだなと改めて反省し、今年は気持ちテンション抑えめに過ごしてみています😌😌 葉っぱ🌱さんへ🩵

 

⭐︎沈黙の沈黙

⭐︎完全犯罪?確信犯であること by 岡本太郎

⭐︎プリメイティディトマダー by カニエウエス

 

 

『意味のメカニズム』と『蚤ハイドロヒューマン』

月末が忙しい。のは、最近の私の生活パターンとして明確なのにどうも追い込まれないとやる気が出ず困ったものだ。

今日はウダウダしていました。

体力だけを静かに温存するように、。

 

トシぴょんが午後から出かけたので、鳥たちを放しながら少し昼寝した。直前まで鳥の愚痴を散々呟いていたのにもかかわらず、私が寝ている間、オカメインコは優しかった。

 

起きて、トシぴょんの部屋で画集をみていた。

中西夏之のいくつかのカタログを眺めたり、

荒川修作/マドリン・H・ギンズの『意味のメカニズム』を眺めたりしていた。

先日養老天命反転地の映像をみて『意味のメカニズム』ちゃんと読んだことなかったなと思っていたこともあり、。

 

『意味のメカニズム』、日本語訳は瀧口修造なんですね。

眺めているうちに、これは言葉に対する揺さぶり、詩的な考察なのだなと理解が進み、英語だからできた世界のような気もした。

日本語としてこの手の感覚、スケールでの考察をみたことがないので、たぶん大体の人はこの過程を知らなくて、それは少し不幸なことのようにも思えた。

と同時に、今のこの体力がことごとく奪われていくような本邦の時代空気の中で、こういうところから考え直す余裕ってあるのかな、とも思ったり。

(この後に及んで、意味があるのか不明な小難しいことを抜かさないと気が済まない類には必須かも)。

そうこうしているうちにトシぴょんが青山のビリケン商会から帰ってきた。

このご時世で、最近はさすがのトシぴょんも街にはあまり出かけたがらないけど、野々上さんの展覧会には足軽に出かける。

ギャラリーで購入してきた彼ら(野々上さんとミナミさんのユニット蚤)の自作画集を、さっきまで眺めていた『意味のメカニズム』の夢の続きのように眺めた。

余白まで計算に入ったデザイン考察にも近い世界から有機的生物的な世界へのギャップに少し慄いたけど、意外と緩やかに時間軸で繋がる。強さのギャップは全くといっていいほど感じず。言葉は繋がっているのかもしれない。

どちらもソファに寝転びながら気楽に眺めたので、うたた寝の続きの中で、時間がものすごい速さで走り、「今」にググっと引き寄せられた感覚がした。

時代に必要とされるこの有機性よ!

 

 

 

 

 

夏休みが終わる

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先日49歳になりました。40代も残すところあと1年です。

40代になってびっくりしたのは、40代とはなぜこんなに忙しいのか!ということでした。

本当に「聞いてないよ」と何度も思ったので、まだ40代になっていない人は、40代になったら「聞いてない」忙しさに襲われるのかな?と思っておいたほうがいいかもです。私は言いましたよ!

 

私は保育所時代、先生に「とろとろとろみちゃん」と呼ばれていたほど本来ゆっくりが大好きです。

時にやむを得ず崖っぷちな集中力を発揮することがありますが、大抵はぼーっとしてないといけません。ぽーっとしている時間はぽーっとしているようで、実は割と考え事をしているのだということを私は私に知っています。

 

今年の短い夏休みにはやりたいことがいっぱいありました。

東京、名古屋、富山と巡回していた「ミロ展」が終わるので、最終の富山美術館に観に行きたかった。

東京では観に行ったけど、もう一度観ておきたかった。泊まる宿や行動スケジュールなど具体的なシュミレーションもしていたのですが、「総合的に鑑みて」諦めました。こういうことが多くなったように思います。

それが歳をとったということなのかな。

自分以外の都合や、何かあった時の予備の体力を残しておいたり、そういうことを事前察知する直観力が高くなったように思います。

これはコロナ禍になってみんな経験していることかもしれません。

 

夏休み中に読んでおきたい積読もあったけど、思っていた以上に読めませんでした。

ひとつ歳をとる直前に集中してファン・ジョンウンの『年年歳歳』を読めたことだけは良かった。

 

とにかく忙しいといけないのは、短い夏休みが終わる前に終わることを考えて悲しくなります。

今は悲しさのあまり、再開すると宣言してからまた1年以上放置してたブログを書いています。

楽しかったことを忘れないうちに書いておくと、先日、妹と妹の子供たちに会いました。

甥は今年大学生となり、一人暮らしを始めました。姪も高校生になりました。

妹にとってはまだまだ大変な時期が続くだろうけど、甥、姪が大きくなった分、妹も少しずつ昔の妹に戻ってきたように思えました。妹が妹らしい時間を取り戻そうとしている気配が感じられたことが嬉しかったです。

このことはまた改めて書きたいので忘れないように、。

 

もしかしたら、40代が忙しいのではなく、今の時代が忙しいのかもしれません。

ミラン・クンデラの『緩やかさ』が日本で発売されたのは1995年、あの頃のような緩やかさへの切望と焦りがある。

とにかく忙しい。忙しいのは基本無理なのでなるべく忙しくしないようにするけど、やはりどう考えても忙しい。泣けます。

イソガシイヒトニチカヅクナ