snsについて、2016年にこんなこと考えてたんだなと改めて見返していました。
ストレスに満ち満ちたコロナ禍以降、snsとかネットの関わり方について色々ぐるぐる変化もあったけど、私がネット当初の頃に漠然と思っていた"ネットもそのうち街みたいになる"っていう感覚には、まだもうちょっとだけ時間がかかるのかなって最近ぼんやり考えています。
ネットがない時代も、ネットがなくてもみんなそれなりにアンテナがあったのに、
今のネットでみるアンテナは、なんだか簡単で必死すぎるところがあるような感じがしています。
簡単すぎることになんだかとても必死になっている、ような。
そのうち、きっとネットは街みたいになるし、出会う必要があるひとには出会えるような気がします。
そんなこんなもあり、斎藤真理子さんたちがやってる、沈思黙なんちゃらはなんだか意味があることなんだろうなって思いました。
スマホを切って読書をしてみると、本の内容がよくわかるというより、わからなさがわかります。つまり「自分は何がわからないか」がわかります
— 斎藤真理子 (@marikarikari) 2024年2月15日
わからなさがわかることこそ、大事ではないかと思うわけです。人と集まってスマホを切ってそれぞれに本を読む沈思黙読会、明後日17日にやります
学割あり。 https://t.co/XEmfihToOu
こんな時代に流暢な、と思うかもしれませんが、この先どうなるかわからない世界を歩くための基礎トレの一つかもしれない。
— 斎藤真理子 (@marikarikari) 2024年2月15日
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今年は辰年だけど、今年になる少し前、ちょうど12年前の辰年に、マイミクではてなダイアリー仲間だった葉っぱさんから頂いた年賀状を見返してました。
あの頃の私は随分とテンションが高かったんだなと改めて反省し、今年は気持ちテンション抑えめに過ごしてみています😌😌 葉っぱ🌱さんへ🩵
⭐︎沈黙の沈黙
⭐︎完全犯罪?確信犯であること by 岡本太郎