たいようとあめのしるし

おそらく10年ぶりくらいに再開します。

『意味のメカニズム』と『蚤ハイドロヒューマン』

月末が忙しい。のは、最近の私の生活パターンとして明確なのにどうも追い込まれないとやる気が出ず困ったものだ。

今日はウダウダしていました。

体力だけを静かに温存するように、。

 

トシぴょんが午後から出かけたので、鳥たちを放しながら少し昼寝した。直前まで鳥の愚痴を散々呟いていたのにもかかわらず、私が寝ている間、オカメインコは優しかった。

 

起きて、トシぴょんの部屋で画集をみていた。

中西夏之のいくつかのカタログを眺めたり、

荒川修作/マドリン・H・ギンズの『意味のメカニズム』を眺めたりしていた。

先日養老天命反転地の映像をみて『意味のメカニズム』ちゃんと読んだことなかったなと思っていたこともあり、。

 

『意味のメカニズム』、日本語訳は瀧口修造なんですね。

眺めているうちに、これは言葉に対する揺さぶり、詩的な考察なのだなと理解が進み、英語だからできた世界のような気もした。

日本語としてこの手の感覚、スケールでの考察をみたことがないので、たぶん大体の人はこの過程を知らなくて、それは少し不幸なことのようにも思えた。

と同時に、今のこの体力がことごとく奪われていくような本邦の時代空気の中で、こういうところから考え直す余裕ってあるのかな、とも思ったり。

(この後に及んで、意味があるのか不明な小難しいことを抜かさないと気が済まない類には必須かも)。

そうこうしているうちにトシぴょんが青山のビリケン商会から帰ってきた。

このご時世で、最近はさすがのトシぴょんも街にはあまり出かけたがらないけど、野々上さんの展覧会には足軽に出かける。

ギャラリーで購入してきた彼ら(野々上さんとミナミさんのユニット蚤)の自作画集を、さっきまで眺めていた『意味のメカニズム』の夢の続きのように眺めた。

余白まで計算に入ったデザイン考察にも近い世界から有機的生物的な世界へのギャップに少し慄いたけど、意外と緩やかに時間軸で繋がる。強さのギャップは全くといっていいほど感じず。言葉は繋がっているのかもしれない。

どちらもソファに寝転びながら気楽に眺めたので、うたた寝の続きの中で、時間がものすごい速さで走り、「今」にググっと引き寄せられた感覚がした。

時代に必要とされるこの有機性よ!