たいようとあめのしるし

おそらく10年ぶりくらいに再開します。

「はんかくせっきゃ」

津軽弁で「はんかくさい」という方言がある。

子供の頃の記憶では、親族や親しい友達との会話の中ではかなり頻繁に、「はんかくせっきゃ」「んだっきゃ」と相槌を打っていた記憶がある。

 当時は考えもしなかったけど、この音を漢字変換すると「半可臭い」なのかな。ニュアンスとしては「生半可」とか「半可通」とかに近く、誰かの行いなどに対し「はんかくせっきゃ」「んだっきゃ(そうだよね)」と相槌を打つことで、「私たちははんかくさぐない」「はんかくさくあってはならない」と我を律する、そんな合言葉だったという記憶。

青森市津軽弁はもともと敬語が発達していないので、話すときは老若男女みな対等だった。おとなしく控えめなクラスメートでもこの「はんかくせっきゃ」という批判精神はしっかり持っていて、頻繁に使っていた。そう、「はんかくせっきゃ」、「んだっきゃ」は相槌、合言葉であり、精神だった。「私たちははんかくさぐない」「はんかくさくあってはならない」と呼応しあうとき、それは冷たい真っ白な雪の澄んだ空気の中で、クスっと笑いあいながら「粋」の次の領域に向かう小さな儀式でもあった。「はんかくせっきゃ」ということは、「はんかくさぐなぐ」「粋」な私、精神を目指す合言葉だった。自分自身を律するおとだった気がするのです。

青森市は湊町で、古くから他の地域の人たちが行き交う街だった。そこで定着した人たちも多くいただろう。その行き交いのなかで頻繁に繰り返される「はんかくさぐないこと」とは、不必要な媚びを売らない、空っぽなことで自慢しない、人をくだらないことで差別したりない、などの「粋」の精神が含まれていた気がするのです。行き交う街で、不条理なこともいっぱいある日常の中での「粋」なこと、「粋」を目指す精神。そういう願いや知恵が「はんかくせっきゃ」「んだっきゃ」という音の呼応の中に多分にあった気がするんだけど、これは私の記憶違いなのかな。

今の青森市青森市政にはどうもこの「はんかくさぐない」精神が感じられない。

つまりは「はんかくさい」んです。