たいようとあめのしるし

おそらく10年ぶりくらいに再開します。

2021年前半まとめ

気づけば、2021年も半年終わって今日は七夕。前回からその後あったことをまとめる。

 

■2月~3月 

今冬の大雪で、雪かきの疲労と雪捨て場までの道路の悪さにより、案の定母が仙骨骨折し入院。

妹と違い(人間の)子育て中でもなくコロナ渦の影響で在宅勤務中である私が、母入院の間、年老いた父と生活するために帰郷することになる。

帰省前から飼っていた老桜文鳥の具合が悪く気がかりだったが、私が青森に滞在中に他界した。

川崎の家に戻ってみると残された連れ合い(トシぴょん)と2羽の鳥(オカメインコ白文鳥)の悲しみに包まれた空気が尋常じゃなく重く、ちょうど文鳥の雛が産まれる季節ということもあり、新たな桜文鳥の雛を迎えることを瞬間的に決意する。

 

■5月~6月 

連休は本邦の火事場泥棒政治がひどく、特に入管法改悪案が通りそうな状況に心が痛み、気が気ではなかった。連休を連休として休めなかったことがその後の私の年間サイクルの乱れとして今も続いている気がしている。

地域活動で今年は自治会当番と管理組合の理事が重なり、割と大変なことになっている。

とはいえそれらの組織たちに対し実際的に私が何かの役にも立っているわけではない。

ただただ私自身が大変と思っているだけの状況。

 

〇家の片づけと分断と

 私は「料理すること」が好きじゃないが、整理整頓に関しては今までそこそこの自信をもって生きてきた。むしろ、整理整頓を軸に今まで生き延びてきたと言っても過言ではないと思っている。しかし、今年は連休に恒例にやる家の整理時期を逃したからか、最近どうも家の片付きぶりがおかしい。この事態は私にとってかなり気持ちが悪いことなのだが、ここをどうしても打破できずにいる。思い返すに2月~3月頃に上京後四半世紀ぶりに青森に1か月以上滞在したあとから何かがおかしくなったような気もするし、地域活動で自分の時間が減り、代わりに今までそんなに知らなかった人の感情の情報が増えたことにもよるかもしれない。

子供の頃から空間を使って思考したいタイプで、家は私の思考であり箱庭だ。家が片付かないということは自分の思考が片付いていないのだとうすうす認識はしているので、少しずらずらものを書いて、ふと部屋が片付くきっかけがつかめればいいかな。部屋が正常なサイクルに戻ったら、また書かなくなるかもしれない。

 

地域活動に参加してみて驚いたのはメールのやりとりの頻繁さだ。プライベートで手紙もそうそう書かなくなって久しいが、最近はメールすらしない。仕事でもチャットがメインのため、未だメールがこんなに使われていることにかなりおののいた。生業の影響でプライベートではPCを起動させることすら死ぬほど億劫な私は、生業以外でメールをやりとりしないといけない実態に相当引いた。今はだいぶ慣れてきたけど。メールは、誰をCCに入れるかなどで微妙な政治が始まる感あるところがいやですね。