たいようとあめのしるし

おそらく10年ぶりくらいに再開します。

昨年末からの青森市の豪雪対応と幸畑団地地区まちづくり協議会への備忘

✳︎これは昨日Mediumに投稿したものですが、こちらに修正版を投稿します。これからこのことについてぼちぼち分析していきます。

昨年末から青森市は、豪雪に見舞われ除排雪作業が追いつかない状態が続いた。また市政の初動の遅れも重なってか市民からは市役所窓口に7000件もの除排雪相談が寄せられたという。

Twitterにも連日の雪かきの疲労と適切な情報が入手できない市民の苛立ちの声が散見していた。除排雪への文句のツイートを目にした除排雪業者の「俺らは奴隷じゃないんだ」といった嘆きや、市政に声を上げる人、また、こんな時に文句をいうなど民度が低いと声を上げるものに冷ややかなどこまでも自助精神の人たち。

そのうち匿名垢によるどこまでも美しいボランティア精神な除排雪情報ツイートが始まり、人々の称賛が集まる。青森市民はやはり優しいよねといまにもバズりそう。

でもこれって根本的におかしいと私は思う。

本来情報は市が積極的にアナウンスするべきもの。

私は出身地幸畑に住む80歳手前の母との電話で、年末からの雪かきの大変さや、なぜ今年は例年より除排雪が入らないかについて地元老人たちの間でさまざまな噂が広がっていること、市役所や町内会に相談しても取り合ってもらえていないことを聞いていた。

一日にどれくらい雪かきをしているか尋ねたところ、「ほとんどだよ、どうせやることない暇な老人だから」と老体に鞭打ち、足が悪くなった父の代わりに屋根の雪下ろしや、できる限りの周りの歩道もやっていることを聞いた。

「雪かきで死なないでね」と言うと「雪では死なないじゃよ、まあ倒れるぐらいはあるがもしらないけどね、でも朝に甘いコーヒー飲むとググッとまた元気になるんだ」と既にやや変なテンションだった。

雪かき中、隣の家の屋根の雪が落ち足が埋まってしまい全く動けなくなったこと。「あれほんとにうごげなくなるね、こわいね、スコップ持ってだがら自分で掘ってでれでよがった」と笑って話す。だからそれが「死ぬ」ってことでしょ?とこっちは思う。

母は真っ直ぐで決めたことはやり通すタイプの人で、長距離マラソンのように朝から晩まで雪かきをしている。「近所の人にあのババ、キチガイになったんでねがって噂されでるびょん、でもいいんだね、言いたい人には言わせでおげ」と笑って言ってた。

そんな時、小野晃彦青森市長のTwitterでは呑気に初詣した報告や今年の経済発展の抱負についてテレビ出演でアピール。

まるで母から聞いた世界の出来事と違い、正直身震いした。母は疲れ切って初詣にも行かなかったのに。

市役所に相談しても「あんただげでないはんで」と言われる。町内会も同じ。だから言ってもしょうがない、と諦めの精神。

でも、これってやっぱりおかしい。

そんなこんなで遠方で年老いた郷里の両親を心配する私は、どんな状況なのか正しい情報が入ってこず、結局Twitterで情報収集する日々が続いた。

そんな苛立ちの連日の中で、昨日、地元の幸畑団地地区まちづくり協議会から、これ以上の自助を促すツイートが流れたのをみて、瞬時にぶち切れたリプをした。

そしたら速攻ブロックされ、Twitterに通報までされた。これには現在Twitter社に異議申し立てをしている。

あちらにも言い分があるだろうがこちらにも言い分がある。

私の故郷の地域を名前につけたアカウント、さも地域のためにやってるふうアピールだが実態は伴っていない。ましてや遠くにいる両親を心配した故の私のツイートを即座にブロックし通報した。

日頃から子育て支援等アピールはするものの、本当に困っている人への働きかけが見えないこと、老人に対する働きかけがなさそうなツイートに日頃から苛立っていたこともある。

ブロックだけでも本当に腹が立ったが、即座に通報するなんて「まちづくり協議会」と名乗るにはあまりにも腹を据えていず無責任に感じる。

ネット情報よろしくやっているなら、遠方で年老いた両親を持つものたちへの正しい情報発信にも目配せしてこそがこれからの「まちづくり」では?とも。

まあ、でもそれもこれも根本的にはやはり市政が悪いんだと思っている。

市政が市民に納得がいく情報を発信していれば、こんなふうに市民やその家族達の分断は起きなかったのではないか。

私が今住んでる川崎市では考えられない情報発信、リテラシーの低さだ。

また、結局はこの感情たちに報いる情報を提供しきれなかった東奥日報にも問題があると思っている。

私は現在在宅勤務をしているので、短期間でも地元に帰り仕事をすることも葛藤にあったが、コロナ禍での関東帰省者に対しての差別的な対応や近所の目がある噂も聞くし、ましてや私のようなはっきりモノを言う人間なんて瞬く間に村八分なんだろうなと改めて実感した。

多様性のカケラもない。臭いものに蓋をして日和見を発揮しないと生きていけない。そんなのでこれから先のまちづくりなど出来るのかと思うが、これも価値観の違いなのだろう。

私自身、当時新興住宅地だった幸畑団地で、リベラルにのびのび育ったつもりでいたがそれも四半世紀以上前のこと、比較的リベラルだったのは自分の家庭内だけの話だったのかもしれないとさえ思い直した。

生まれ育った幸畑団地を名乗るアカウントにブロックされたとき、私の中の故郷は死んでしまったのだと思った。

最後に総合的俯瞰的にみると、やはり1番悪いのは、適切な情報を発信し続けず、市民の自助任せにした青森市政だと私は思う。